松林桂月「春宵花影」
朧月夜の濡れた光に
うつしだされた桜の花びら。
薄影をまとい、みずからが微かに発光しているような、
そんな印象さえ受けます。
松林桂月「春宵花影」。
この清廉なるたたずまいよ。
練馬区立美術館で「松林桂月展」が開かれており、
明治から昭和にかけて活躍した日本画家・松林桂月の作品が展示されています。
最後の南画家ともいわれ、叙情的な水墨画を残した画家の歿後50年を記念するもので、
東京国立近代美術館所蔵の「春宵花影」も展示されていました。
太平洋戦争開戦前の1939年、ニューヨーク万博に出品された作品で、
叙情的かつ写実的な花影は日米で絶賛されたそうです。
以下、「春宵花影」について桂月自身が語った言葉を。
私の画室は桜新町と称する処に在りて、町の両側は桜の並木で埋もれ、
陽春四月の候に入ると、万朶の花影が爛満として咲き乱れ、
両々交叉して一条の花の隧道をなして居る。
夜に入って花下を逍遥すると、
東坡の「花有清香月有陰」の詩句を想起し、
春宵一刻真に千金の値あるを覚ゆるのである。
一夜、朧ろ月夜の光景に打たれて、
眼裏に深く印せるその花影の一端を追って、
遂に此の図を試作したのであった。
桂月が見た桜新町の花影が、いかに美しかったか。
「春宵花影」を見ていると、その幻想的な光景が眼前に広がるようです。
月光にみちびかれた桜花には胡粉が薄く塗られ、
花弁の白さがより強調されているのだとか。
この晩、桂月の眼にうつった桜はあやしくも美しい白だったのでしょうね。
練馬区立美術館の「松林桂月展」は6月8日まで。
ご紹介した「春宵花影」は5月11日までの展示なので要注意です。
このほか、格調高い山水画や妻の松林雪貞による草花図、
走獣画が苦手だったにもかかわらず請われて描いた虎、
琳派風の大作屏風絵などなど実に豊かで見応えのある展覧会でした。
山口県萩市の出身とのことで、長門峡を描いた作品が多かったのも嬉しかったです。
中原中也好きならビビッとくる地名ですからね。
それでは最後に、「春宵花影」を見て連想した
島崎藤村の「小詩二首」を。
よく知られているのは詩の前半で「花影」という単語も出てきますが、
より世界観に近いのは後半のほうかなぁと。
前に紹介した気もしますが、またあらためて。
小詩二首
一
ゆふぐれしづかに
ゆめみんとて
よのわづらひより
しばしのがる
きみよりほかには
しるものなき
花かげにゆきて
こひを泣きぬ
すぎこしゆめぢを
おもひみるに
こひこそつみなれ
つみこそこひ
いのりもつとめも
このつみゆゑ
たのしきそのへと
われはゆかじ
なつかしき君と
てをたづさへ
くらき冥府(よみ)までも
かけりゆかん
二
しづかにてらせる
月のひかりの
などか絶間なく
ものおもはする
さやけきそのかげ
こゑはなくとも
みるひとの胸に
忍び入るなり
なさけは説(と)くとも
なさけをしらぬ
うきよのほかにも
朽(く)ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
この月かげと
いづれか声なき
いづれかなしき
藤村の「小詩二首」は明らかに恋をうたった詩ですが、
実は讃美歌をベースにしてつくられたことが知られています。
桂月の「春宵花影」にもまた、宗教的な美しさがあるなぁと
そんなことを考えた次第です。
蛇足になった感もありますが、今回はこのへんで。
今日も明日もがんばろう。
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