佐伯祐三「人形」「ロシアの少女」
前回に引き続き、佐伯祐三について。
展覧会では陰鬱で重い印象の作品が多かったのですが、
例外的に明るくて愛らしい作品もありました。
たとえばこちら。「人形」という作品です。
Doll(c.1925)
Saeki Yuzo
佐伯はこの人形に一目惚れしてしまったのか、
1000フランで購入してしまい、
その結果、実家や友人から借金をするはめになったのだとか。
それくらい愛らしい人形だったのでしょう。
このほか、「ロシアの少女」という作品でも
黄色を背景に赤、青、白の民族衣装を着た
可愛らしいロシアの少女を描いています。
Russian Girl(1928)
Saeki Yuzo
活動の場を日本からフランスへ移すにあたり、
佐伯は妻の米子と娘の彌智子を伴っています。
米子は川合玉堂に絵を習っていたこともあるくらいで
佐伯からも西洋画の手ほどきを受けていたそうです。
彌智子も画家仲間から可愛がられていたそうで、
こうした家族の存在が、佐伯の支えになっていたのでしょう。
自分が描く絵に疑問を抱き、苦悩し続けた佐伯ですが
「人形」や「ロシアの少女」といった作品においては、
愛する我が子を思ってリラックスできたのかな、と。
しかし、「ロシアの少女」を描いたころから佐伯の病気は悪化の一途をたどり、
ついに1928年8月16日、亡き人となります。
その2週間後には、佐伯と同じ結核で彌智子が病没。
残された米子は2人の遺骨をもって日本に戻り、
その後なぜか機械に魅せられ、各地の工場を訪れてはスケッチを繰り返し、
機械をテーマとした油彩を手がけていったのだそうです。
今日も明日もがんばろう。
- 関連記事