「埴輪 乙女頭部」と川端康成
ほのぼのとまどかに愛らしい。
均整、優美の愛らしさでは、埴輪のなかでも出色である。
この埴輪の首を見てゐて、私は日本の女の魂を呼吸する。
日本の女の根源、本来を感じる。
ありがたい。
埴輪には丸い顔が多いが、この首ほどやはらかく丸い顔はめづらしいやうである。
丸さは横顔へもつづく。頭のうしろも丸い。そして、首の細く長いのがいい。
丸の均整と調和のまはりに温かいひろがりがある。
しかし、目は切り抜かれて、奥に深い暗(やみ)があるから、
可愛さは甘さにとどまらない。
角度と光線によつて、いろいろに見え、無限に語りかけてくる。
l(エル)字型の耳は右をさかさまにつけたやうな無造作もあるが、
天工のおのづからな名作であらう。
とにかく、日本の女の魂の原初の姿である。
知識も理屈もなく、私はただ見てゐる。
(川端康成)
冒頭の文章は、「乙女頭部」という埴輪に寄せて川端康成が書いたもの。
1968年に購入、世界でもきわめて稀な逸品である「汝官窯青磁盤」を手放して、
それでも手元に置いておきたかったのでしょう。
川端はさっそく東山魁夷にあてて、
「ほのぼのとやさしい少女、昨日の朝拙宅に参りました」と手紙を綴っています。
それにしても……美術・工芸品について書かれたもので
これほどの名文を、ぼくは他に知りません。
対象が小説であろうと映画であろうと、あるいはそれが恋文であったろうと、
ここまで対象に惚れ込み、純真無垢に、
けれど確かな表現で書かれたものは稀でしょう。
猛禽のような鋭い眼光で美術品を見つめる川端の写真はつとに知られていますが、
この埴輪を前にした川端は、それこそ「ほのぼの」と
えも言われぬ至福に浸っていたのでしょうね。
「知識も理屈もなく、私はただ見てゐる」。
日本を代表する文豪が言うからこそ、深みのある言葉です。
ときにはこのような心持ちで、ぼくも美術品に向き合いたい。
頭でっかちの自分を戒めつつ、そう思う次第であります。
「乙女頭部」および川端と美術品のかかわりについては、
静岡市美術館の「巨匠の眼 川端康成と東山魁夷」で知ることができます。
会期は6月1日まで、その後岡山、島根へ巡回。
同題の関連書籍を本日読み終えたところで、
あらためてその美的世界に圧倒された思いでした。
過去に開催された川端・東山展の関連書籍としては、
2人が交わした書簡にクローズアップした
「川端康成と東山魁夷 響きあう美の世界」というものもあり、
こちらも非常に勉強になります。
天工の美術品と文章、それらに触れたよろこびに、今夜は浸りたいと思います。
今日も明日もがんばろう。
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