小村雪岱「日本橋」
しんしんと降り積もる雪のなか、
外をうかがう芸者の姿。
夜のしじまに何思うのか、
その立ち姿はあてどなく、ため息が出るほどの美しさです。
この作品は、明治から昭和初期を代表する文人・泉鏡花の
「日本橋」の見返しに描かれたもの。
手がけた画家の名は小村雪岱。
小説家と若き画家はこの作品ではじめて交わり、
それまで泉鏡花本の装幀は鏑木清方が多く手がけていたのが、
以後その多くを小村雪岱が手がけることになります。
日本を代表する装幀・挿絵画家の、運命的とも言える出発点。
鏡花が描く情緒を雪岱は見事に転化し、
その後なくてはならぬ女房役となるわけです。
小村雪岱と泉鏡花の関係については、
星川清司の「小村雪岱」という評伝に詳しく書かれています。
かの松岡正剛が、「千夜千冊」にて「人に教えたくないくらい」と絶賛した一冊。
先日神保町の古本屋で見かけて、少し高かったけど迷わず買ってしまいました。
装幀画家にまつわる書籍だけに、まずデザインが素晴らしいのです。
外函も、帯も、本文組も、文章も。
たとえば「日本橋」については以下のように。
鏡花作品への想いの丈をみごとな絵筆で彩った「日本橋」は、双方の意気がぴたりと合って目を瞠らせる出来栄えとなった。小説作者と装幀画家とのこれほど幸福な出会いがまたとあろうか。
こうして、鏡花作「日本橋」の雪岱装幀は、かがやかしい出発点となった。
小村雪岱、とし二十八歳の秋である。
「日本橋」の出会い以来、雪岱えがく絵は、鏡花えがく小説同様に、すべて羅曼主義の色彩を深く帯びて、いうにいわれぬ哀愁のはかなさが底に流れ、見るひとの心をうち、他面、けんらんとして華やぎ、美しさは比類もなかった。
「高野聖」などの名作で知られ、
極度の潔癖性でありながら酒に酔えばそのことを忘れ、
江戸の情緒と芸者風俗を愛した泉鏡花。
雪岱とはひとまわり以上も歳が離れていたものの、
気心が合ったものかたがいにそれと言わぬままに師弟同然の間柄になったそうです。
幼くして父を亡くし、母と別れ、
思春期を過ごした日本橋の家はかつて有名な心中のあった場所――。
孤独をかかえた雪岱の心情は鏡花が描く作品世界そのものであった、と。
挿絵や装幀、舞台美術に映画の時代考証などで目が回るほど忙しく、
清方に「小村さん、挿絵ばかりではいけませんよ。
あなたほどになったら、本絵をもうすこし描かなくては」
と諭されても、容易に本絵の筆をとることができなかった雪岱。
新たな画業に想いをはせることもありながら、
けれど装幀画家として泉鏡花の小説に寄り添うことができたのは
望外のよろこびだったのでしょう。
「泉先生のおかげで、美しい時代を一しょに生きられて、
美しいものをずっと見つづけてこられて幸せだった」
54歳で亡くなる前夜、雪岱はこんなふうに妻に語ったそうです。
今日も明日もがんばろう。
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