川端康成「掌の小説」
ここ最近、1日に30分くらいずつ、
声に出して本を読むようにしています、
黙読のときも朗読みたいに頭のなかで読み上げるクセがあるんだけど
実際に声に出してみると、そこで気づかされることもいろいろあって。
読書って奥が深いなぁとあらためて思ってます。
で、今日読み終えたのがこちら。
川端康成の「掌の小説」。再読です。
計111編、それぞれ5ページにも満たないような、
それだけに無駄を削ぎ落して研ぎすまされた珠玉の短編集。
その大半は20代で書かれたそうで、
詩の代わりに書いたと本人が語っているとおり
一文一文がが実に詩的で繊細で、
慈しむように1か月ほどかけて、ゆっくり読み終えたのでした。
以下、出だしだけいくつか抜粋します。
二十四の秋、私はある娘と海辺の宿で会った。恋の初めであった。(日向)
今年は柿の豊年で山の秋が美しい。(有難う)
夏だった。朝毎に上野の不忍池では、蓮華の蕾が可憐な爆音を立てて花を開いた。
これはその池を横切る観月橋の夜のことである。(帽子事件)
省線電車の窓は若葉の匂いだった。(夫人の探偵)
レモンで化粧することが彼女の唯一つの贅沢だった。だから彼女の肌は新鮮な匂いのように白くて滑らかだった。(貧者の恋人)
紅梅が真盛りの窓の向こうに、青い海は陽炎が立っていた。
一夜の木枯にざくろの葉は散りつくした。(ざくろ)
紅葉した山に火の降るまぼろしが、私の目の奥に見えていた。(秋の雨)
ならの葉のなかに、銀の太陽があった。(白馬)
……あぁ、こうして書き出しているだけでもうっとりしてしまいます。
現代の文法としては誤りであろう言い回しも、
こうして見るとなんとも味わい深く奥深く、
その微妙な揺らぎがなんとも心地よい。
「恋の始まり」ではなく「恋の初め」。
「若葉の匂いがした」ではなく「若葉の匂いだった」。
「青い海に陽炎が立っていた」ではなく「青い海は陽炎が立っていた」。
ほんの小さな違いだけど、こんな文章はとてもじゃないけど書けません。
新潮文庫の表紙は画家・平山郁夫の作品(タイトルは分からない)。
おそらく北山杉でしょう。川端ファンなら反射的に「古都」を連想するはず。
このへんもなんとも心憎いですなぁ。
たぶん今、人生で一番本を読んでると思います。
読めば読むほど楽しくなってくる。幸せな気持ちになる。
そんなわけで、ちょっと美術から遠ざかってます。面目ない。
今日も明日もがんばろう。
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