クリムト「黄金の林檎の木」
林檎の木、歌をうたう少女たち、金色の木の実
(エウリピデス「ヒッポリュトス」より)
Golden Apple Tree(1904)
Gustav Klimt
ほぼ正方形の画面を埋め尽くすように、枝を伸ばす林檎の木。
黄金の果実がたわわに実り、装飾的な木の葉は陽光に輝き、
むせかえるような緑が満ち満ちています。
グスタフ・クリムト「黄金の林檎の木」、これぞ生命の讃歌。
クリムトというと、やはり黄金の肖像画のイメージが強いんですが
実は彼の全作品の4分の1が風景画なのだとか。
多くが「黄金の林檎の木」のような正方形のキャンパスに描かれており、
風景の一部分を切り取った独自の世界を形成しています。
林檎の木を描いた作品は他にもあるようで、
特に1911年頃の作品と比べると画風の変化が如実にあらわれていて面白いですね。
さて、ゴールデンウィークはひたすら読書三昧だったんですが、
そのなかで出会った小説がゴールズワージーの「林檎の木」でした。
純朴な田舎の少女メガンと、
快活な都会の少女ステラの間で揺れ動く主人公の葛藤を描いた、
ノーベル文学賞受賞作家による傑作。
駆け落ちの約束までしたメガンを裏切り、
ステラを選び結婚する主人公ですが、
26年後に訪れた思い出の地で悲しい真実を知る、という物語。
あまりにもロマンチックで透明で叙情的な作品なんで、
クリムトの作品を当てるのはちょっと違うかな?とも思いつつ……
まぁ、林檎の木なんで(笑)
この作品、ストーリーもさることながら文章が詩的で非常に美しいんです。
たとえば、こんな感じ。
集英社文庫(訳:守屋陽一)より抜粋。
小川はさらさらと音をたてて流れ、月は水浴び場の上に、青みがかった鋼色の光を投げかけていた。彼はまた、彼を見上げている彼女の顔――それは無邪気で控え目ではあったが、激しい情熱のこもったものだった――に接吻した時の恍惚とした喜びに、異教的な夜の不安と美しさの中に、ふたたび戻っていった。彼はもう一度、ライラックの陰にじっと佇んだ。ここでは、小川のさざめきではなくて海の音が、夜の声だった。溜息をついては囁きかけるような波の音だけで、小鳥の囀りも、梟の声も、夜鷹の鳴き声も、聞こえてはこなかった。ただ、ピアノの音が聞こえ、白い建物が夜空に重量感のあるカーヴを描き、ライラックの芳香があたりに満ち溢れていた。
おそらく小川はメガンを、海はステラを表しているんでしょうね。
林檎の白い花がメガンなら、ライラックの薄紫色の花はステラ。
自然の中の鳥達のさえずりがメガンなら、ピアノの人工的な響きはステラ。
純朴な自然に心惹かれることはあっても、
結局都会の生活を捨てきれない、人間の性(サガ)……。
文庫本で150ページ程度の分量なんで、
興味のある方はぜひぜひ。
ちなみに冒頭の一文は「林檎の木」でも引用されてます、
というかこの一文から物語が始まります。
そもそもエウリピデスの「ヒッポリュトス」が物語の下敷きになってるみたい。
最後に、林檎の果実ばりにもうひと転がり。
林檎にまつわる恋の歌といえば、島崎藤村「初恋」が思い浮かびます。
まずは日本近代浪漫詩の華、「初恋」の全文を。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
林檎といえば美の象徴にして、罪なる果実。
ゴールズワージーは自分の恋愛経験を作品に投影しており、
そもそも彼が小説を書き出したのは
当時不倫関係にあったエイダという女性(後に結婚)の
「あなたこそ小説を書くべき人」という助言がきっかけだったといいます。
島崎藤村も、「愛こそ人生の美」と考えながら
スキャンダルな恋愛を繰り返した人物。
教師時代には教え子を愛した結果キリスト教を捨てて辞職、
その後は姪と不倫関係に堕ちるなど。
そしてクリムトもまた多くのモデルと恋愛関係にあり、
その生き方は官能的な作品群に結実しています。
林檎の木をめぐる、さまざまな恋愛模様と人生。
う~む、僕も恋愛しなきゃ(またこんなオチか……)
ぽちっとお願いします♪
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