足立区綾瀬美術館 annex

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ゴヤ「異端審問所の裁判」

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正義は、時に人を傷つける。
正義は、時に人を追いつめる。
正義は……正義を押しつける。


ゴヤ_異端審問所の裁判
 The Inquisition Tribunal(1812-19)
 Francisco de Goya




フランシスコ・デ・ゴヤ「異端審問所の裁判」。
台の上に座らされた被告は反省の帽子をかぶらされ、
祈りなのかあきらめなのか、手を組んで顔をうつむけています。
当時、このような宗教裁判はスペインをはじめヨーロッパ全土で行われており、
ゴヤも何度か、裁判にかけられそうになったとか。



正義って、何なんでしょうね。
善行はそれのみで存在しうるけど、
正義は邪悪の対立項としてしか存在しない気がしています。
そして邪悪という概念は、
往々にして強者による弱者への押しつけのような気も。
神を信じるという敬虔な姿勢でさえ、
対立する宗教同士であれば一方は正義であり、一方は邪悪になってしまいます。
そして視点を変えれば、その逆も容易に成り立ってしまうんですね。


クジラを食べること、イルカを食べること、はたまた犬を食べること。
地域的にはごく当たり前の習慣でも、
それを容認しない人たちにとっては邪悪な習慣であり、
それを問いつめる人たちは自分が正義だという信念を持っているわけで。
宗教裁判も、また然り。


少なくとも僕は、「正義」を口にする人を信用できない。
たとえどんな大義があろうとも、それは物事の一面でしかない。
その裏にどんな犠牲と悲しみがあろうとも、
「正義」という言葉を持ち出すべきではないと思うんです。
犠牲者の気持ちになってみろ、
遺族の気持ちになってみろという意見もありますが、
それを分かった気になるのはただの傲慢だし
被害者が加害者に石を投げるのを、「正義」と呼んでいいのか?と。
石を投げる必然性があったとしても、それは「正義」ではなく報復です。
復讐をやめろという資格は僕にはないけれど、
「正義」という名の下に正当化すべきではないと思っています。
善行はさらなる善行によって連鎖するけど、
正義は復讐によって連鎖する。
それが僕なりの考えです。


最後に、最近読んだ芦原すなおの「東京シック・ブルース」という小説に
非常に的を射た台詞があったので引用させていただきます。


正義か。
正義ってのは短気で、
独りよがりで、
不寛容で、
ほんとに脅迫的強迫観念なんだよな。




※今回の文章は、状況悪化への第三者としての懸念であって
状況改善に資するものではありません。
ですので、「どうすれば良くなるの?」という
質問に対する回答は控えさせていただきます。
その答えは、犠牲者(遺族)の意見を抜きにしては成り立たないと思うし……。



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