足立区綾瀬美術館 annex

東京近郊の美術館・展覧会を紹介してます。 絵画作品にときどき文学や音楽、映画などもからめて。

クレー「綱渡り師」

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ねじれた階段、不安定な立体。
バランス棒を握りしめて、慎重に歩を進める……
パウル・クレー綱渡り師」。
観ているこちらが不安になったり応援したくなったり手に汗握ったりと、
なぜだか胸を打つ一枚です。


クレー_綱渡り師
Seiltänzer(1923)
Paul Klee





この作品は、クレー独自の技術「油彩転写」によるもの。
まず最初に素描があって、それを黒く塗りつぶした紙の上に置いて、
線を針でなぞっていくと一番下に置いた紙に線が転写されると。
カーボン紙を使った転写に近い感覚でしょうか。
クレーの「油彩転写」の場合、こすれなどで
意図しないところにも黒がのってしまいます。
綱渡り師」の場合は十字の左上のあたりですね。
これがあってこそ、風化したような独特の味わいが生まれるのだと思います。


黒い線のみで構成される素描が時間の止まった世界なら、
色彩を与えられた油彩転写画は動きのある世界。
動きがあるというよりは、“動いた”ことを感じさせる世界かも。
「綱渡り師」では唯一色彩を与えられていないのが、
天地左右を貫く十字。
綱渡り師が抗う垂直方向の力と、彼が目指す水平方向の力が強調されています。
垂直線が背中にあることを考えると、
墜落の危機を脱したのかもしれません。
あるいは、無理に背中を押されているのかも。。。
そして、天と地を覆う淡いブルー。
希望の青と取るか、憂鬱の青と取るかは観る人次第なんでしょうね。


クレー展では前にご紹介した「蛾の踊り」も今回展示されてましたが、
やっぱり素描と見比べると印象が大きく変わってきます。
昆虫の標本を思わせる悲劇的な素描が、
色彩という命を与えられて飛び立とうとするような。
飛び立つ先が希望かどうかは分からない、
それでも飛び立とうという意志が感じられるからこそ、
観るものの心を揺り動かすのだと思います。
それは「綱渡り師」も同じことで、
毎日延々と繰り返される不毛な努力だったとしても
理解に苦しむ無意味な行いであったとしても
それを淡々と行う姿はやはり崇高なのではないでしょうか。

蛾の踊り
Nachtfaltertanz(1923)
Paul Klee





クレーは自身について、こんな言葉を残しています。
まるで自身が「綱渡り師」であり、「蛾」であったかのような。


この世では ついに私は理解されない
いまだ生を享けていないものたちのもとに
死者のもとに 私がいるからだ
創造の魂に 普通よりも近づいているからだ
だが それほど近づいたわけでもあるまい



「パウル・クレー おわらないアトリエ」では、
油彩転写の作品群「写して/塗って/写して」のほか、
切断によって再構成された「切って/回して/貼って」、
切断によって別々の命を吹き込まれた「切って/分けて/貼って」、
両面に描かれた「おもて/うら/おもて」という
4つの方向から、クレーの制作手法を知ることができます。
いずれも難しい方法ではなく、
それこそ子どものような自由な発想に基づくものですが
だからこそ、それを作品として成立させるクレーの感覚に驚かされます。


さて、クレーは日記のなかで自身をスカラベ(ふんころがし)になぞらえています。
そこでの記述が彼の制作スタイルをよく言い表してるので、最後に引用します。


僕の前で聖なる糞玉ころがしコガネ虫が仕事に精を出している。
僕もこのように働こう。
玉が転がるまで、くりかえしくりかえし試みよう。
削って小さくしたり、玉のまわりを測ったりして。
このコガネ虫のように、僕も玉を後ろ向きに転がすことができるかどうか。
つまり後ろ向きに目標地点へと転がり込めるかどうか。




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