クレー「嘆き悲しんで」
パウル・クレーは9600点もの作品を
遺産コレクションとして管理するため8つのカテゴリーに分類し、
カテゴリーごとに価格を設定していたそうです。
一方、それ以外に非売品と位置づけられた作品もあり
クレーはこれを「特別クラス」とし、終生手元に残したそうです。
今回は「特別クラス」の1点、「嘆き悲しんで」を。
Trauernd(1934)
Paul Klee
無数の四角形と曲線で構成された、シンプルにして複雑な一枚。
曲線で囲まれたエリアごとに微妙に用いる色彩が違っていて、
それらの色を追いかけていたら時間がたつのも忘れてしまいそう。
目を閉じて物思いにふける表情は、
「忘れっぽい天使」にちょっと似てますね。
タイトルは「嘆き悲しんで」だけど、
どこか聖母のような優しさ、暖かさを感じます。
Forgetful Angel(1939)
Paul Klee
「嘆き悲しんで」を見たとき、代表作「パルナッソス山」や
ブリヂストン美術館の「島」を連想したんですが
それぞれを比較してみると、
線と無数の小さな色彩という構成は共通していても
微妙に表現の仕方が違うんですね。
「パルナッソス山」はタイル絵のように細かな平面が敷き詰められて、
タイルでいうところの目地の部分にも異なる色が使われています。
「島」の場合はどちらかというと線と点で、
背景には滲みのような色彩がのせられています。
これらに比べると、「嘆き悲しんで」はもっとシンプルに作られてるんですね。
ふ~む、おもしろい。なるほど色彩の魔術師。
To the Parnassus(1932)
Paul Klee
Island(1932)
Paul Klee
1914年にアウグスト・マッケらと
北アフリカのチュニジアを旅行した際、
クレーは日記のなかでこんな文章を残しています。
澄みきるほどに柔らかな色の夕暮れ。
チェスの名人たち。
幸福なひとときだ。
ルイは絶妙な色のご馳走を見つけだして、
それを描けという。
私ならうまくやれるというのだ。
私はいまや仕事の手を置く。
私のなかに深く穏やかに染みいるものがある。
私はそれを感じ、
努力するまでもなく私に自信を与えるもの。
色彩が私を捕らえる。
私のほうが追い求めなくとも、
常に私を捕らえるに違いない。
これが、幸福なひとときの意味だ。
色彩と私が一体となる。
私は画家なのだ。
詩情あふれる表現で、自身にとっての色彩というものを表した名文です。
クレーの墓碑には「私は理解されない」の一節が刻まれているそうですが、
個人的にはこちらの文章にすればよかったのに、なんて思ったり。
さて、東京国立近代美術館の
「パウル・クレー おわらないアトリエ」では、
6つに分けられた展示の最後で「特別クラス」の作品がまとめられています。
その数24点と、なんとも豪華!
前期のみ展示の作品もあるんで、早めに足を運んだほうがいいかも。
そしてですね、実は「特別クラス」の作品、
ひそかに別のパートにも紛れ込んでるんですよね。
たとえば前回紹介した「綱渡り師」は
「写して/塗って/写して」というブロックで展示されてますが、
こちらもよくみると「特別クラス」なんです。
作品名のところにちゃんと書かれてるんで、
どれが特別クラスなのか、なぜクレーは非売品と位置づけたのか、
そんなことを考えながらまわるのも面白いかもしれません。
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