狩野一信「五百羅漢図」
昨日は国芳展のあと、江戸東京博物館の「五百羅漢」へ。
マッチョな武者絵のあとで五百人の親父たちということで……
おなかいっぱい、夢いっぱいでございました。
ということで、狩野一信「五百羅漢」よりこの一幅。
The Five Hundred Arhats-The Six Realms: Hell
Kano Kazunobu
第22幅、「六道 地獄」。
雲の上から地獄を見下ろし、
龍の炎をかきけさんばかりに突風をあやつる羅漢。
ぱっと見どっちが悪役か分からない表情ですが、
よく見れば下方では異形のバケモノが暴れまわり、
炎に焼かれて逃げまどう罪人、
羅漢の登場に喝采する罪人。
あぁ、なんとも恐ろしい……。
そもそも羅漢とは、釈迦亡きあとにも
その教えを求め続け、悟りを開いた人々のこと。
狩野派の最後を飾る絵師・狩野一信は
一幅に5人ずつ、計500人の羅漢を100幅に描くという偉業に挑み、
10年の歳月をこの画業に費やすも志なかばで倒れてしまいます。
死後、彼の妻と弟子によって全100幅が完成したのだとか。
徳川将軍家の菩提寺である港区・増上寺に秘蔵されていた「五百羅漢図」が、
ついにその全貌を明らかにしたわけです。
会期は残り1週間(7月3日まで)、間に合ってよかった~。
ところでこの「五百羅漢図」、チラシやwebで見るかぎり
ぐいぐい押し出してくるような脂っこくてクドい作品だと思ってたんですが、
絹地の滑らかさゆえかライトアップの巧みさゆえか、
実物を前にした印象は意外にあっさりテイスト。
けれど味わいには確かな輪郭があり、
ご飯何杯でもおかわりできそうな後味が残ります。
なるほど、これなら100幅見ても疲れない!
場面展開もおもしろくて、「六道 地獄」で恐怖の世界が描かれたと思えば
第41幅からは羅漢たちの修行が始まり、
第51幅からは「神通」と題して羅漢たちの超能力、
第61幅~70幅では想像上の怪物が登場する「禽獣」。
そのあと竜宮にいったり建物たてたりと、とにかく大忙しなんですね。
よくまぁ、こんだけ色々考えたなぁと。
感心感心。
と思いきや、最後の方で画風ががらっと変わってしまうんです。
一信が病に倒れ伏し、筆を取ることがかなわなくなってから……
やはり本人の筆とは明らかに異なる、散漫な構図が目立つようになります。
どこが絵の重心かが分からないから、視線が定まらず疲れてしまうんですよね。
逆にいえば、あれだけのコッテリ羅漢たちを見事に封じ込めてみせた
一信の画力が凄まじいということなんでしょうけれど。
最後に、もうひとつの見所。
解説文がぶっとんでます(笑)
あまりにも軽くてちょっと不謹慎では?なんて思ったんですが、
これ、図録だともっとすごいんですね。
以下、ざっくり抜粋。
さながら「朝まで生テレビ」である。
第15幅左上、渋い表情で見守るのが田原総一郎か。(第15幅 論議)
羅漢中学校の入学式。(第17幅 剃度)
宝珠から光を発して溶かそうとする。「羅漢ビームである」。(第23幅 六道 地獄)
ぜひ水木しげる先生にお見せしたい。(第27幅 六道 鬼趣)
第2部・羅漢さんアゲイン(第41幅 十二頭陀 亜蘭若)
といった感じで、良くも悪くも笑わせてくれます。
賛否両論はさておいて、たまにはこういうのも面白いんではないかと。
江戸東京博物館「五百羅漢」は7月3日(日)まで。
まだの人はぜひ!
ぽちっとお願いします♪
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