川合玉堂「山雨一過」と芦原すなお「オカメインコに雨坊主」
この道は、いつか来た道。
川合玉堂「山雨一過」。
先月、山種美術館で見た作品です。
荷を負った馬をひいて、峠道を行く旅人。
雨上がりのさわやかな風が樹々をゆらし、
はるか彼方には青い山肌が。
旅路はまだまだ続くのでしょうか、
峠道の先は崖に隠れており、
仙境につながっているような気もしてくるから不思議です。
此岸と彼岸のあわいのような……。
生と死の境界線のような……。
芦原すなおの「オカメインコに雨坊主」という小説を読んだのですが、
なぜかずっと、川合玉堂の「山雨一過」が頭に浮かんでいました。
本作は乗る電車を間違えてしまった画家が
たどり着いた見知らぬ町で暮らすようになり、
そこでちょっと変わった住民たちと接し、
さまざまな生と死に触れていくという物語。
巻末の解説が非常によく書かれていたので、
以下引用させていただきます。
まったくこの町の人たちはさらりと深いことを言う。
生と死、愛と別れ、喜びと悲しみ、
人は何度でもそのあわいにたたずむ。
ひきさかれてそこにいて、それをせつなさと言うのだろう。
(中略)
季節はめぐる。
時もまた人の力が及ばない何かだ。
山桜が咲けば<ぼく>は散るまで毎日花見をする。
子猫が生まれ、やがて巣立っていく。
五月になれば、岩魚がまた川で跳ねるだろう。
自然も動物も時を知り、思い患うことがない。
人だけが去っていくものを惜しみ、
境界線の向こう側に手を伸ばす。
うつろうことの美しさに目をみはり、
胸をしめつけられてしまうのは、きっとそのせいだ。
そしてこの町では、ふいに境界線の向こう側からやってくる者たちがいる。
みんな、懐かしくやさしい顔をしている。
池の中からすーっと浮かび上がってきたのは亡くなった<ぼく>の妻だ。
梅雨時になると雨坊主が現れる。
雨坊主と出会っても、チサノもおばあさんも別に驚かない。
驚かないどころか、チサノは一緒に石蹴りをして遊んだりするし、
おばあさんはありあわせのおかずを持たせてやったりするらしい。
(解説:瀧晴巳)
こんな感じで、じんわりほっこりさせてくれる一冊なんです。
芦原すなおは「青春デンデケデケデケ」で直木賞を受賞した作家。
会話文の名手で、軽やかなのに深みがあって
にぎやかなのに静かに心に染み入る文章が魅力です。
「オカメインコと雨坊主」では
小学生の女の子、チサノちゃんのセリフが何とも印象的。
おばあちゃんと2人暮らしのため、とても大人びた物言いをするのです。
「一度ゆっくり楽がしてみたいけど。手間をいとってちゃ女はやっていけない」
「まったく横着者がうらやましい。マメな性分に生まれついた者は一生苦労する」
と、こんな感じです(笑)
もうひとり、英語教師のトーマスという人物のセリフも
ものすごく深くてユーモラスで考えさせられるんですが、
あまりネタばらしもよろしくないので
興味のある方はぜひご一読くださいませ。
おまけと言ってはなんですが、スピッツの「田舎の生活」。
うつらうつら柔らかな日差し、終わることのない輪廻の上。
ぽちっとお願いします♪
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