足立区綾瀬美術館 annex

東京近郊の美術館・展覧会を紹介してます。 絵画作品にときどき文学や音楽、映画などもからめて。

船田玉樹「臥龍梅」

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まるで篠突く雨のように
うす桃色の無数の花びらが画面を満たし、
枝々は荒ぶりおどるように腕を広げています。
船田玉樹「臥龍梅」。
孤高の画家が描いたのは、げに凄まじき春の景。


船田玉樹「臥龍梅」
 Dragon Plum Tree(1980-83)
 Funada Gyokuju




ちょっと時間をさかのぼって、連休2日目。
練馬区立美術館の「船田玉樹展」を見てまいりました。
この画家のことは先年に東京国立近代美術館で開かれた
「日本画の前衛」という展覧会ではじめて知って、
そのとき「花の夕」という作品に夢中になってしまったものの
全然画家の情報がなくて回顧展を待ちわびていた、という経緯がございまして。
生誕100年を記念して、満を持しての展覧会ということになります。

船田玉樹展チラシ
 船田玉樹展のチラシ。メインビジュアルは「花の夕」♪



玉樹はもともとは洋画家を志していたものの早くに限界を悟り、
ちょうどそのころに見た琳派の作品に感銘を受けて
21歳のときに日本画の道を歩み始めます。
そして、速水御舟との出会い。
恩師を振り返って玉樹が書いた直筆の原稿が展示されていて、
その内容がすばらしかったので以下に紹介したいと思います。


運命は、亡くなる三ヶ月前の速水先生の前に私を座らせた。(略)仰有つていたゞいたお言葉をこゝにのべることは、ひとに話すことは、どんな気持で受止められるかと思ふので大いに恥かしい。それがわかつていてこのことをのべるのは、この過分なはげましの言葉に出逢つたことが何十年後の今日迄孤独な画生活に耐えられる信念となつたので速水御舟といふ画人に出合つたことが自分の進路をきめたといへる。私は四度しか先生に逢うことは出来なかつた。現在、日本画を描きはじめて二枚目の絵「ぼけの花」(二尺横の絹)が自蔵となつているが、これは先生に見ていただいた小品の一枚である。多分に師(太田聴雨)の影響が見られる絵で、速水先生のお言葉では「これは干菓子の美である。干菓子の美、勿論美であるが、もつと眞裸になつて、泥まみれになり、のたうちまわつてよいのではないか。どんなにしても君のものはなくならない。そうすることで生長するのだ。君は良い素質をもつて生れて来ている。このことは君の大変な幸せだと思ふ。」そして一緒にこれから勉強しませうとはげまして下さつた。


展覧会では速水御舟の作品も展示されており、
両者の作風の違いについて考えてみるのも面白いと思います。
個人的には、玉樹のほうが非常に情念的であると感じました。
「臥龍梅」など特に、感情が奔流のように溢れ出ている気がして。
それは時に艶かしかったりグロテスクだったりもするのですが、
汚いものまで含めて美であると、そんな気さえして。。。


かように流れる水のごとくに、
玉樹はひとつところに留まらず、画風を次々に変えて行きます。
シュールレアリスムもあれば抽象もあり、かと思えば水墨に戻ってくる。
変転と回帰を繰り返し、一途におのれの世界を突き詰めていきます。
その作風は、展覧会のキャッチコピーの通り「異端にして正統」。
「日本画の前衛」ではこの「異端」の部分に惚れ込んだわけですが、
本展では「異端」と「正統」という両極に揺れながら、
200点もの作品を追いかけていきました。


練馬区立美術館は1階と2階に展示がわかれていて、
1階では御舟や古径といった玉樹の師の作品に加えて、
玉樹と同時代に活躍した丸木位里や岩橋英遠、靉光といった
「日本画の前衛」でもおなじみの画家の作品が玉樹作品とともに並びます。
そして2階に移動すると、終戦後の玉樹の作品群がずらり。
変幻自在の画風は圧巻の一言ですが、
1974年、玉樹62歳のときに異変が起こります。
……長くなってしまったので、続きはまた次回にしますね。


練馬区立美術館の「船田玉樹展」は9月9日まで。
その後、広島県立美術館に巡回します。
御舟の精神を受け継ぎ、飽くなき変化を続けた画家のすごみを
ぜひ感じてみてはいかがでしょうか。




今日も明日もがんばろう。
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