ルーベンス「キリスト昇架」「キリスト降架」とフランダースの犬
「十字架にかけられるキリスト」と「十字架からおろされるキリスト」と
この二つの栄ある作品の観覧料として協会がとりたてる銀貨を儲けることは
ふたりにとっては大伽藍の尖塔の高さをはかると同様、手の届かぬことであった。
銅貨一枚の金さえも余分にはなかったのだから、
ストーブにくべるわずかの薪と、肉汁の代金をかせぐのがせいぜいであった。
そうはいっても、あのおおいのかかった二枚の絵のすばらしさを見たいという、
やむにやまれぬ熱望が、ネロの心を苦しめていた。
(ウィーダ「フランダースの犬」より)
Raising of the Cross(1611-14)
Peter Paul Rubens
Descent from the Cross(1611-14)
Peter Paul Rubens
労働の合間にネロが見ることを切望した2枚の絵こそ、
巨匠ルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」。
当時これらの作品には覆いがかけられていて、
観覧料を払わなければ見ることはかなわなかったそうです。
当然貧しいネロにお金を払えるわけもなく、
願いがかなったのは死の直前……。
ネロとパトラッシュが天使に導かれる、あの場面です。
実はアニメの「フランダースの犬」は、
最終回のあの場面しか知らなくて。
先日ウィーダの原作を読み終えて、
ネロにとってルーベンスという存在が
いかに大きかったかを知りました。
ルーベンスは物語の舞台となった
アントワープの名を世界に知らしめた人物であり、
画家を志す少年ネロにとっては神様のような存在だったのでしょう。
「あれが見られさえしたら、ぼくは死んでもいい」と言い切れるほどに。
昔これらの絵を何かの本で見たときは、
なんて怖い作品だろうと思ったものです。
どうしてネロはこんな作品を見たかったのだろうって。
こればっかりは、キリスト教を信ずる人でないと
分からないのかもしれないけれど。。。
いろんな絵画を見てきて、少しずつ分かってきたような気もするけれど。。。
食べるものにも事欠くような苦しさのなかで、
教会という厳かな場所で見るからこそ価値があるのかもしれないですね。
描く方にも見る方にも痛みがあるというか。
それを思うと現代はどうなんだろうと、素人ながらに考えてしまうわけです。
さて。
ネロは「キリスト昇架」「キリスト降架」を見られなかった代わりに、
お金を払わないでも見ることができるマリア昇天の絵を飽かず見ていました。
祭壇の後ろに置かれたこの作品を、歓喜のあまり恍惚として。
この作品「聖母被昇天」の下絵が
東京都美術館の「マウリッツハイス美術館展」に出ているので、
まだ見ていない方はぜひぜひ。
下絵だからこそ感じられるルーベンスの生々しい筆さばきに、
ネロのように思わず恍惚としてしまうはずですから♪
今日も明日もがんばろう。
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