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足立区綾瀬美術館 annex

東京近郊の美術館・展覧会を紹介してます。 絵画作品にときどき文学や音楽、映画などもからめて。

クノップフ「沈黙」

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前回に引き続き、フェルナン・クノップフの作品を。
1890年、最愛の妹が嫁いだ年に描かれた「沈黙」です。
モデルは妹のマルグリット。
口元に指をあて、沈黙をうながすしぐさは何を意味するのでしょう。


クノップフ「沈黙」
 Silence(1890)
 Fernand Khnopff




確かにマルグリットは、
彼の求める女性の理想像にかなっていた。
それはミューズであり、
天使であり、
霊感を与える者であり、
性的なものの対極にある存在であった。
——図録の解説にはこんなふうに書かれていました。
パステルの淡い色彩のなかで、
真っ白な衣装に身を包んだマルグリットは
確かにミューズのような神性を帯びています。
そして、「沈黙」というタイトル。


……画家の領土を満たしている沈黙のハーモニー。
その沈黙のあまりの深さに、
人は白一色に塗られた控えの間に入るとき、
自然と口をつぐんでしまう。
そこには、荘重な芸術の象徴たる孔雀が見張りの任に就いている。
青い柱の上では、繊細なギリシャの小像が静かに我々を差し招いている……
(1990年のフェルナン・クノップフ展図録より抜粋)


アトリエはこんな雰囲気だったらしく
「沈黙」には画家の実生活と世界観があらわれていることが分かります。
息が詰まるほどの静寂のなかでカンヴァスと向かい合い、
口には出せない思いを芸術に昇華させようとしたのでしょうか。
マルグリットが結婚してからも
クノップフは結局思いを断ち切れなかったのか、
生涯独身を貫いたそうです。

クノップフ「マルグリット・クノップフの肖像」
 マルグリット・クノップフの肖像。白いドレス。



ぼくには妹がいないので、
クノップフの恋心は想像はできても理解はできないけど……
どんな相手だったとしても、
人を愛することは苦しいことだなぁと思うのです。
それでも愛してしまうのが
人の弱さであり、強さでもあるのでしょう。
手に入らないもの、失ったものを求めてしまうのは
間違ったことなのかもしれないけど、
それが生きる力になるのであれば
一生愛し続けるという選択も決して間違いではないと思うんだけどな。





言葉には いつか意味がなく……
たれこめたうすやみのなかで
おまへの白い顔が いつまで
ほほゑんでゐることが出来たのだらう?

夜 ざわめいてゐる 水のほとり
おまへの賢い耳は 聞きわける
あのチロチロとひとつの水がうたふのを
葉ずれや ながれの 囁きのみだれから

私らは いつまでも だまつて
ただひとつの あたらしい言葉が
深い意味と歓びとを告げるのを待つ

どこかとほくで 啼いてゐる 鳥
私らは 星の光の方に 眼をなげてゐる
あちらから すべての声が来るやうに

(立原道造「夜 泉のほとりに」)





今日も明日もがんばろう。
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(2004/02)
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