ゴヤ「砂に埋もれた犬」
フランシスコ・デ・ゴヤ「砂に埋もれた犬」。
生き埋めにされた犬の表情は困惑に満ちており、
自分の状況を飲み込めていないのか
抗うそぶりも見えません。
砂は……砂と呼ぶには湿り気を帯びて黒ずんでおり、
犬の不安と痛みがひしひしと伝わってきます。
この作品は、ゴヤが晩年の一時期を過ごした「聾者の家」に飾られていた
「黒い絵」と呼ばれる連作のなかのひとつ。
反射的に恐怖にとらわれる「我が子を食らうサトゥルヌス」と対照的に、
「砂に埋もれた犬」を見ていると、じわじわと恐怖が広がっていきます。
Dog(1820-23)
Francisco José de Goya
森絵都の「カラフル」という小説を読みました。
数年前にアニメ映画化された作品で、書かれたのは15年も前です。
ストーリーは……
生前に犯した罪によって輪廻のサイクルからはずされた主人公は、
「再挑戦」として自殺を図った少年・真の体に乗り移ることになります。
輪廻のサイクルに戻るための条件は、自分の罪を思い出すこと。
中学3年生の真という少年として過ごすうちに、
主人公は真が抱えていた悩み、家族やクラスメイトとの問題に直面します。
なぜ真はみずから死を選ばなければならなかったのか、
そこまで彼を追いつめたものは何だったのか。
こうやってあらすじを書くとものすごく重く感じられますが、
そこは児童文学出身の森絵都さんだけあって、
テンポよくユーモラスに、そしてやさしく物語が進んでいきます。
真は絵を描くのが好きな少年で、美術部に所属していました。
生前ある油絵を制作しており、
主人公もそれを引き継いで絵筆を手にします。
カンヴァスに広がっていたのは、青い海。
深くて静かな海の底からゆっくりと水面をめざす馬が描かれていました。
「カラフル」というタイトル、
そして水面をめざす馬が描かれた油絵から
逆にゴヤの「砂に埋もれた犬」を連想したのです。
主人公と真の境遇が、すこし自分の学生時代と似ていたからでしょうか。
真と同じように、中学時代のぼくは友達が少ない少年でした。
休み時間になればいつも自分の席で小説を読んでいた。
内向的で、人と接するのが苦手だった。
真や主人公と決定的に違うのは成績がよかったってことで(笑)
完全に過去の栄光ですが、学年で1、2を争うくらいの成績でした。
学校でも塾でも授業中はほとんど寝ていて、
勉強はほとんど独学だった、というか勉強しないでも成績よかったんですね。
なので、心のどこかで教師やクラスメイトを軽んじていたんでしょう。
幸いいじめられることはなかったけど、
何のために学校に行ってるのかよくわからない毎日でした。
高校に進むとそれが加速して、
授業に出ないで図書館に入り浸るように…。
テスト前でさえそんな状況だったんで成績はみるみる落ちて行って、
卒業するには単位も出席日数もたりない状況に追い込まれました。
大学の付属校だったんで、普通にしていれば進学できるはずなんですが。。
幸いなことに卒論(高校だけど卒論があった)が学年主任の目にとまって
一発逆転的に卒業できた、という感じでした。
そんな性格だったので高校でも大学でも友達ができるはずもなく、
当時のクラスメイトでいまも付き合いのある人は皆無なんです。
「カラフル」が書かれたのと同じころに、
ぼくも人には言えないような過ちを犯しました。
なんとかそれを乗り越えて、こうして元気に暮らしています。
高校、大学、それから社会に出て3年くらいはひどい感じでしたが
天職ともいえる仕事と出会えて、価値観を共有できる仲間と出会えて、
そして自分がずっと引きずっていた過去のしがらみを
丸ごと受け止めてくれる人と出会えた。
絵画というすばらしい世界を知ることができた。
灰色だった世の中は、いつのまにかカラフルになっていました。
もし今がつらかったとしても、
砂に埋もれた犬はきっと自由を手に入れると思うのです。
海の底から水面を目指した馬は、きっと青空と出会えると思うのです。
その瞬間はもしかしたら何年、何十年先かもしれないけれど
かならずその日が来ると信じていれば、
きっと世界は違って見えると思うのです。
「生きてりゃいいさ、喜びも悲しみも立ち止まりはしない」ってね。
もちろん努力は大切だけど、それ以上に気の持ちようなのだと思います。
なんだか自分語りが過ぎちゃって訳の分からないことになってしまいました。
最近のいろんなニュースを見るにつけ、悶々と思うことがあって。
それでは最後に、もう一枚。
グスタフ・クリムト「生命の樹」という作品です。
味気ない土色は黄金色の輝きに通じるんですよ。
命とは、かくも美しい!
今日も明日もがんばろう。
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