山本芳翠「猛虎一声」
少し明るくなってから、
谷川に臨んで姿を映して見ると、
既に虎となっていた。
自分は初め眼を信じなかった。
次に、これは夢に違いないと考えた。
夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、
自分はそれまでに見たことがあったから。
どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、
自分は茫然とした。
そうして懼れた。
(中島敦「山月記」より)
A Roaring Tiger(1895)
Yamamoto Housui
山本芳翠「猛虎一声」。
中島敦の「山月記」と同じく、
中国の変身譚に材を取った作品です。
そのあらすじは——
水辺にうつったおのが姿を目にして
人外に落ちたことを悟った唐代の秀才・李徴。
彼は虎として生きることを余儀なくされ、
やがて心までも獣と化していきます。
時に意識を取り戻すこともあり
そのたびに獣や人を喰らう自分の業に苦しみ、
ついには心をなくしたほうが幸せなのでは、と考えるに至ります。
そして、旧友との再会……。
李徴は今の思いを詩に託し、変身の理由を語ります。
そうするうちにも彼の心は獣性に支配されていき
慟哭のなかで別れを告げるのです。
友を襲わずにすむように。
「猛虎一声」に描かれているのは、
自身が虎になったことに気付いたその瞬間、
あるいは友と別れ、「白く光を失った月を仰いで」咆哮する場面でしょうか。
写実的に描かれた猛虎ですが
後ろ足に力はなく、何かに怯えながら威嚇しているように思えます。
夜空は雲に覆われ、そのあわいから洩れた月明かりは
岩塊をあやしく浮かび上がらせ、
虎の孤独と哀しみを際立たせています。
この作品は東京藝術大学大学美術館のコレクション展で展示されていました。
取材の合間にぽっかり2時間ほど暇ができて、
ここぞとばかりに見に行きまして。
松園の「序の舞」が目当てだったんですが、
こんなものすごい作品に出会えるとは……。
山本芳翠は明治時代の洋画家で、
ラ・トゥールばりの明暗表現による作品を残しています。
「猛虎一声」は、月明かりによって逆に暗さが強調されており
李徴(虎)の内面をえぐり出しているようにも感じました。
あと、気になったのが水辺の表現。
ウィンズロー・ホーマーの海景みたいだなぁと思って。
暗く重たい水が光をたたえて揺らめいていて、
それもまた人と獣の間で揺れる李徴の心をあらわしているみたいで。
参考:山本芳翠「月下の裸婦」
ちなみに企画展では「フェンディ展」というのをやってたんですが
こちらはさっぱり分からず……(涙)
次の「夏目漱石の美術世界展」に期待しましょう。
なんてったって、ウォーターハウスの「人魚」来日ですから!
今日も明日もがんばろう。
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