ウォーターハウス「シャロットの女」(夏目漱石の美術世界展より)
この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、
忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出す。
人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。
ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。
割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。
七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。
紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、
もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる。
「シャロットの女を殺すものはランスロット。
ランスロットを殺すものはシャロットの女。
わが末期の呪を負うて北の方へ走れ」と女は両手を高く天に挙げて、
朽ちたる木の野分を受けたる如く、
五色の糸と氷を欺く砕片の乱るる中にどうと仆れる。
(夏目漱石「薤露行」より)
The Lady of Shalott(1894)
John William Waterhouse
ウォーターハウス「シャロットの女」は
前回の「人魚」同様、テニスンの詩をもとに描かれた作品です。
彼は塔に閉じ込められた姫君という同題の作品を複数残しており、
塔から逃れ出て、小舟に乗って死に向かう場面を以前ご紹介しました。
あらすじについてもそこに記しておりますので、
「シャロットの女」について知りたい方はこちらをご覧ください。
夏目漱石の美術世界展に出ていた「シャロットの女」に描かれているのは、
今まさに禁を冒して外界を覗き見ようとする場面。
姫の後ろにはまるい鏡があり、右端に騎士ランスロットの姿が見えます。
恋というものを知り、孤独な日常に倦み飽きていた彼女は
突き動かされるように席を立ちます。
彼女を押しとどめようと金の糸が膝上に絡み付き、
場面の急転をしめすように足もとには糸玉が散らばっています。
参考:ウォーターハウス「『影の世界にはもううんざり』とシャロットの姫は言った」
さてこの作品、どう見るのが正しいか。
鏡のなかのランスロットの立ち位置からして
少し離れて、右側から見るのが正しいかとも思いましたが、違和感があります。
なぜなら姫君は、塔の上にいるはずだから。
そこに道行くランスロットが写り込むのは変かもしれませんが、
鏡にも魔法がかけられているのでしょう。
となれば、この作品は正面に置くべきではなく、
もっと高い場所に飾るべきなのかもしれないですね。
中腰になって下界を覗き込むシャロットの姫は
目につかず気付かれないくらいがちょうどいい。
実際、ランスロットはこのとき彼女の存在に気付かなかったわけですから。
……まあ、そんなふうに展示されたら
「見えないじゃん」って怒ると思いますが(笑)
ちなみに漱石はテニスンの詩(またはアーサー王伝説)と
ウォーターハウスのこの絵の印象を組み合わせたものか、
「薤露行(かいろこう)」において
ランスロットが塔のうえのシャロットの姫の存在に気付き、
鏡のなかで視線を交わした、と書いています。
さて、東京藝術大学大学美術館の「夏目漱石の美術世界展」ですが、
漱石はラファエル前派に造詣が深かったこともあり
ウォーターハウスの他にもミレイやロセッティの作品が出ています。
また、小説に登場する作品としてターナー(坊ちゃん)や
ブラングィン、青木繁(それから)、長澤蘆雪(門)などなど
文学と絵画のクロスオーバーという
自分としては願ったり叶ったりな企画なのです。
はじめて漱石を読んだのは小学校6年生のとき、
「坊ちゃん」だったと記憶していますが、
主要作品は中学〜大学のあいだで読んでいるものの
当時は絵画に対してまったく興味も知識もなかったので、
今更ながらに漱石と美術の結びつきに驚かされました。
漱石と親交のあった画家の作品や、
小説のなかで登場する架空の絵画の再現など見どころたっぷりです。
会期は7月7日まで、そのあと静岡に巡回します。
あと2回は見に行きたい、そのくらいすばらしい展覧会でした。
おまけ。歌詞の世界観があうような気がして。
今日も明日もがんばろう。
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