高村智恵子「くだものかご」
彼女はそれを訪問した私に見せるのが
何よりもうれしさうであつた。
私がそれを見てゐる間、
彼女は如何にも幸福さうに微笑したり、
お辞儀したりしてゐた。
(高村光太郎「智恵子の半生」より)
Fruit Basket(1937-38)
Takamura Chieko
自殺は未遂に終わったものの、
智恵子の心は壊れていきました。
今でいう統合失調症で、その治療のためにはじめたのが切り絵でした。
はじめは色紙で千羽鶴を折るところから始まり、
いつしか彼女自身の意志で色紙のうえを鋏がおどるようになります。
鋏はマニキュア用の先端が曲がった小さなものを使い、
じっと色紙を見つめていたかと思えば
すらすらと一気呵成に切り進めていったそうです。
智恵子の切り絵「かに」。
徐々に色彩の組み合わせは複雑になっていき、
色紙の透かしを利用したものや
鋏で切れ目だけを入れて、微妙に下の色が垣間見えるように工夫したりと
まるで詩を読むように、うたうように、色彩を操るようになります。
かつて油絵具では、色の配合が上手く行かずに悔し涙を流していたものが……。
奇しくも病院の一室で、智恵子は自由な色彩を手にしたのでした。
それは高村光太郎も目を見張る程のものだったようです。
此の病院生活の後半期は病状が割に平静を保持し、
精神は分裂しながらも手は曾て油絵具で成し遂げ得なかったものを
切紙によって楽しく成就したかの観がある。
百を以て数へる枚数の彼女の作つた切紙絵は、まつたく彼女のゆたかな詩であり、
生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、
ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。
彼女は此所に実に健康に生きてゐる。
(高村光太郎「智恵子の半生」より)
千葉市美術館の「高村光太郎展」では、
智恵子の切り絵が65点も展示されていました。
いずれも1937年から38年にかけて、
南品川のゼームス坂病院に入院中につくられたものです。
あどけない幼さの残るものもあれば、
驚くほど精緻につくられたものもあり
その振り幅の大きさも、彼女の心の病ゆえなのかと少し悲しくなりました。
それは死を前にした女性が、最後に放った命のきらめきであったかもしれません。
このとき、智恵子は結核を発症しており
それが原因で38年に亡くなります。
最後の日、彼女は切り絵をひとつにまとめたものを光太郎に手渡し、
トパアズ色の香気が立ち上るレモンを望みました。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
(高村光太郎「レモン哀歌」)
今日も明日もがんばろう。
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